海上自衛隊の遠洋練習航海について【2010年世界1周コースに乗艦して】

航路概要 気になる歯科情報

私は2010年の遠洋練習航海に練習艦隊司令部の歯科長として乗艦し、約5カ月間で東回りに世界一周を航海するという勤務をさせて頂きました。3隻からなる練習艦隊(合計727名)は晴海出港後、太平洋からパナマ運河を抜け大西洋を横断し、地中海そしてスエズ運河を抜けインド洋を横断し、赤道を越えて南シナ海等を北上して帰国するという航海で、11カ国15寄港地の訪問もでき大変貴重な経験でした。今回はその時の資料をまとめて記事にしました。

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海上自衛隊の遠洋練習航海とは

遠洋練習航海の目的は、①初級幹部の部隊実習および慣海性の涵養(基礎的な知識技能の習得とともにシーマンシップを養う)、②派遣隊員の国際感覚の涵養、③訪間国との友好親善・各国海軍との交流で、昭和32年以降毎年実施しており、2010年は海上自衛隊として54回目(海軍から通算して115回目)でした。

2010年は練習艦「かしま」、「やまぎり」、護衛艦「さわゆき」の3隻からなる練習艦隊が、東京港晴海埠頭から出航しました。練習艦隊司令官 徳丸伸一海将補指揮の下、実習幹部188名を含む合計727名の艦隊でした。 

各寄港地では表敬訪問、招待・被招待行事、スポーツ交歓、艦艇の一般公開、音楽隊および“かしま”有志による和太鼓「祥瑞太鼓」の演奏等の行事が行われました。

2010年コースの特徴

2010年は、「日米安全保障条約改定50周年」、「日本-メキシコ交流400周年」、「日本-ポルトガル修好150周年」およびエルトゥールル号殉難から120年の節目における「2010年トルコにおける日本年」などの行事があり、それらに参加することで日本の文化や経済の歴史も学ぶことができました。

また、アデン湾では世界各国の海軍とともにシーレーンを含む海洋安全および防衛の重要性についても学ぶ機会を得ることができました。

練習艦「かしま」

練習艦「かしま」は平成7年1月に就役し、基準排水量4,050トン、全長143メートル、幅18メートル、吃水4.6メートル、主機CODOG、出力27,000馬力、速力25ノットで、兵装は76ミリ単装砲1基と3連装短魚雷発射管2基です。

歯科室と医務室

練習艦「かしま」歯科室には歯科ユニットが1台、パノラマX線とデンタルX線撮影装置も搭載しており、一般的な歯科および歯科口腔外科治療が行える環境になっています。出航中の歯科治療は、疼痛等の急性症状に対する治療が中心になりますが、う蝕治療、歯周病治療、埋伏智歯(親知らず)抜歯等の口腔外科診療も行いました。

海上自衛隊の歯科医官は初任実務研修として、自衛隊横須賀病院で1年半、防衛医科大学校病院の麻酔科で3カ月、口腔外科で3カ月の研修を行っているため一般的な歯科治療に加えて、病棟管理や全身麻酔等の全身管理の研修を修了しています。

これは遠洋航海のような長期出航中は、現場に歯科医師は1人しかいないため隊員の顎口腔領域の様々な疾患に対応する必要があるための教育であり、海上自衛隊の研修は私自身も多くのことを学ぶことができました。

2010年練習艦隊の衛生班メンバーは、内科医(医務長)、外科医、歯科医、薬剤師、医務長付(医事幹部)、衛生員(准看護師)2名、放射線技師、歯科技工士、臨床検査技師で、隊員727名の健康管理を行いました。

晴海出港:5月26日

東京港晴海埠頭で出港行事が行われ、榛葉防衛副大臣(当時)からは激励のご挨拶がありました。
練習艦隊は晴海出港後、最初の寄港地であるパールハーバーに向け太平洋を東進しました。

洋上慰霊祭(ミッドウェー沖):6月3日

6月3日の夕刻、練習艦「かしま」の飛行甲板で、ミッドウェー海戦の戦没者を弔う洋上慰霊祭が行われました。
国家のために尊い命を捧げられた幾多の先人の遺業を偲び、その英霊に対しご冥福をお祈りしました。

パールハーバー(米国):6月8日~11日

パールハーバーに入港し、アリゾナ・メモリアル献花、パンチボール献花を行いました。
また、日米安保改訂50周年記念行事の一環としてのシンポジウムや祝賀行事も行われました。

サンフランシスコ(米国):6月20日~23日

ゴールデンゲートブリッジをくぐり、サンフランシスコに入港しました。

現地ではゴールデンゲートブリッジ(Golden Gate Bridge)、フィッシャーマンズワーフ(Fisherman’s Wharf)、そして監獄島として知られるアルカトラズ島(Alcatraz Island)等の研修を行いました。

サンディエゴ(米国):6月25日~28日

6/25にサンディエゴに入港しました。
現地では、サンディエゴ海軍医療センター(San Diego Naval Medical Center)で研修をさせて頂きました。

当時、松井秀喜選手が所属していたロサンゼルス・エンゼルスの試合を観戦することもできました(エンゼルスタジアム・オブ・アナハイム)。

アカプルコ(メキシコ):7月4日~6日

7/4にメキシコのアカプルコに入港しました。
日本とメキシコの関係は、1609年にメキシコ経由でスペインに戻る途中のスペイン船が、千葉の御宿で座礁した際に付近住民が助け、時の将軍徳川家康が三浦按針に命じて日本最初の洋式帆船を浦賀で建造させ、3カ月近い航海を経て太平洋を横断して無事にメキシコのアカプルコに到達した歴史があります。

また、1613年には伊達政宗の命を受けた支倉常長を始めとする慶長遣欧使節が、アカプルコ経由でローマまで到達しています。アカプルコ滞在中には海が見渡せる海岸の一等地に支倉常長の銅像を移設する日本広場開所式が盛大に執り行われました。

メキシコ海軍とのサッカー交流も行い、アカプルコで有名な断崖絶壁から海に飛び込むクリフダイビングの伝統行事「ラ・ケブラーダ」の見学もできました。

チアパス(メキシコ):7月8日~9日

2010年は「日墨交流400周年」でもあったためアカプルコに続いて、チアパスにも寄港しました。

メキシコは中南米において最初に日本人が入植した地であり、現在でもチアパスのタパチュラおよびアカコヤグアには多くの日系人が住んでいます。

パナマ運河:7月13日

パナマ運河通峡の前日にパナマ湾に錨泊しましたが、同じような船舶が多数いました。

太平洋の入り口に架かるアメリカ橋をくぐってパナマ運河に入り、まずミラフローレス閘門を通過しました。

2つ目のペドロミゲル閘門を抜けた後は、ガツン湖・ガツン閘門へ向かいました。

パナマ運河は西の太平洋から東の大西洋側までの長さが80kmほどで、真ん中には海抜26メートルの湖があります。そのため運河を通過するには、船を徐々に26メートル上げて湖を越えた後は徐々に26メートル下ろされなければなりません。これのために観音開きのドアを持つ閘門〈こうもん〉が運河の途中に3か所(ミラフローレス閘門、ペドロミゲル閘門、ガツン閘門)あります。

サントドミンゴ(ドミニカ共和国):7月17日~20日

カリブ海に入り、ドミニカ共和国のサントドミンゴに入港しました。
現地では、音楽隊による演奏会などが行われました。

ボルチモア(米国):7月26日~29日

アメリカ東海岸のボルチモアに入港しました。
上陸後はワシントンD.C.にも行き、リンカーン記念堂、ワシントン記念塔、ホワイトハウス、国会議事堂等の研修を行いました。

また、ボルチモアにある国立歯科博物館(National Museum of Dentistry)も見学し、歯科の歴史を学ぶことができました。

ボルチモア・オリオールズ の本拠地であるオリオール・パーク・アット・カムデン・ヤーズ内の見学もしました。

リスボン(ポルトガル):8月11日~14日

大西洋を横断し、8/11にはポルトガルのリスボン港の入り口に架かっている「4月25日橋」をくぐって入港しました。
リスボンは大航海時代に栄えた歴史的な港湾都市で、2010年は「日本-ポルトガル修好150周年」でした。

リスボンにあるカンポ・ペケーノ闘牛場にて初めて闘牛の観戦をして、その迫力が凄まじかったと記憶しています。

ナポリ(イタリア):8月19日~22日

ジブラルタル海峡を経て地中海に入り、イタリアのナポリに入港しました。
ナポリは紀元前から栄えたイタリアを代表する港湾都市です。

ナポリでは、音楽隊と和太鼓「祥瑞太鼓」の演奏、サッカー交歓等を行いました。

またナポリからローマへ向かい、世界遺産でもあるバチカン市国、コロッセオ、スペイン広場、ナヴォーナ広場、トレヴィの泉等の研修もしました。

アレキサンドリア(エジプト):8月27日~30日

8/27にはエジプトのアレキサンドリアに入港しました。

現地では世界遺産でもあるギザの三大ピラミッド(クフ王、カフラー王、メンカウラー王)とスフィンクス(ギザの守り神、全長約57m)の史跡研修もでき、大変有意義な上陸でした。
クフ王のピラミッドは底辺が230メートル、高さが147メートルで、建造されたのは紀元前2250年頃(日本では縄文時代)にこのような巨大ピラミッドが作られていたとは信じがたい思いでした。

メルシン(トルコ):9月1日~4日

9/1に地中海東側に位置するトルコのメルシンに入港しました。

トルコと日本には深い歴史があります。1890年に和歌山県串本沖で座礁したトルコ軍艦「エルトゥールル号」では587名が犠牲となりましたが、救助された69名は串本町民の献身的な看護を受け、その後日本の軍艦でトルコに送り届けられています。そのような歴史もありメルシン入港時には、タグボートと数多くのヨットが練習艦隊の入港を暖かく出迎えてくれ、「エルトゥ―ルル号遭難120周年」および「トルコにおける日本年」の式典においてもトルコの親日感情を肌で感じることができました。

メルシンはエルトゥールル号の母港で和歌山県串本市と姉妹都市の関係にあり、エルトゥールル号慰霊式典では和歌山県知事、串本町長を始め、和歌山県の一般市民の方々も約180名が訪れ、日土の関係者により記念植樹や友好パレード等が盛大に行われました。

また、現地では世界遺産のカッパドキアの研修もさせて頂きました。
アナトリア高原中央部に南北約50kmにわたって存在するカッパドキアは、世界に類を見ない奇岩群(火山の噴火により堆積した凝灰岩や溶岩層が長い年月をかけて浸食されてできた岩)は、圧巻の一言でした。

スエズ運河:9月6日

メルシンを出港後、地中海と紅海を結ぶスエズ運河を通峡しました。
紅海を抜け、ソマリア海賊の活動エリアであるアデン湾へと向かいました。

ジブチ(ジブチ):9月10日~12日

9/10に海賊対処行動部隊がいるジブチに寄港しました。ジブチおよびアデン湾では気温が50度を超えることもあります。
アデン湾では、水上部隊が10隻以上の船舶護衛を実施している横を約1日にわたり併走しました。

マスカット(オマーン):9月17日~20日

ジブチ出港後、9/17にアラビア海に面したオマーンのマスカットに入港しました。

現地では、オマーン国の関係者を招待しての艦上レセプション等を行いました。

ジャカルタ(インドネシア):10月2日~5日

10/2にインドネシアのジャカルタに入港しました。
ジャカルタのカリバタ国立墓地では、インドネシア独立のために戦った旧日本軍軍人27名に対する献花を行いました。

また、現地では海上幕僚幹部衛生企画室の先生が訪問されたため、練習艦隊衛生班での懇親会を行うことができました。

ジャカルタ出航後に当初予定されていた中国の青島への寄港は、尖閣問題による日中関係の悪化により中止となりました。

釜山(韓国):10月21日~24日

10/21には最後の訪問である韓国の釜山に入港しました。
現地では、韓国海軍衛生班との意見交換やサッカー交歓を行いました。

晴海入港:10月28日

練習艦隊は東回りの世界一周の遠洋航海を終えて、晴海に入港しました。
総航程は約31,800浬で、所要日数は156日間、訪問国は11カ国、15寄港地でした。

2010年のコースをまとめると、晴海を出港後、太平洋を東に進み、アメリカのパールハーバー、サンフランシスコ、サンディエゴ、メキシコのアカプルコ、チアパスに寄港、その後パナマ運河を経てカリブ海に進出、ドミニカ共和国のサントドミンゴ、アメリカのボルチモアに寄港した後、大西洋を横断しポルトガルのリスボンに寄港、その後ジブラルタル海峡を経て地中海に入り、イタリアのナポリ、エジプトのアレキサンドリア、トルコのメルシンに寄港、そしてスエズ運河を経てジブチのジブチ、オマーンのマスカット、その後インド洋を横断し赤道を越えインドネシアのジャカルタに寄港、そして南シナ海等を北上した後、最後の訪間国である韓国の釜山に寄港し、日本に帰国しました。

その他

出航中は夕刻に毎日行われる艦上体育(甲板上でのランニング)の他、洋上補給、ハイライン、12.7ミリ単装機銃による射撃訓練、サンドレッド投擲、操艦実習等の洋上訓練を行いながら航海していました。

「飛び込み」は各艦艇の甲板から救命胴衣を装着した状態で海に飛び込むもの(約7~ 8メートル)で、サントドミンゴの港外において錨泊した状態で行いました。

各国海軍との親善訓練は、メキシコ、ドミニカ共和国、アメリカ、イタリア、トルコ、オマーン、韓国の7カ国の海軍と行いました。

航海中はレクリエーションとして、赤道通過時の赤道祭、司令公室での音楽隊による演奏、釣り大会等を行いました。

遠洋航海の記念として、訪問した各国の切手を貼付した航海記念色紙が、今では大切な思い出の品となっております。

その後も徳丸司令官を中心に、世界一周を共に過ごした練習艦隊司令部のメンバーと定期的な懇親会を行っており、その度に改めて大変貴重な経験をさせて頂いたと感謝している次第です。

最後までこの記事を読んで頂きありがとうございました。

AOI国際病院 歯科口腔外科 田島聖士
(神奈川県川崎市川崎区)

【参考文献】
TRAINING SQUADRON!:写真集 海上自衛隊平成22年度遠洋航海:世界の艦船別冊:海人社


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